11年目~始まりました!

毎年のことですが、バタバタのうちに入れ替え作業が始まり~何とか11年目の展示が終わりました。
東京から6名の方々が来て下さり、助けて頂きました・・

木原展 入口看板

展示終了後の10周年記念式典での、細川理事長のお礼の挨拶です・・ 背景には木原さんの作品が並んでいます!
細川さん、作品の邪魔をしていますね~(笑)
細川挨拶

10周年を記念して、甚大なるご支援を頂いてきた、宮坂さんと岩橋さんに、心ばかりの感謝状をお送りいたしました。
感謝状 岩橋

残念ながら、宮坂さんは体調を崩しておられて、来られませんでしたが・・ 
お陰様で、「木原和敏展」 無事に開催出来ました!! 置戸で木原さんの作品展が出来るとは~本当に奇跡かもしれません!!
順次、ご紹介したいと思いますが・・新規作品15点、どれも素晴らしいです!! 
是非とも、来場頂いて、本物を見て頂きたいと思います。 本物の迫力は伝えきれません・・

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ギャラリートーク 延期のお知らせ!

前回のお知らせの木原さんですが、残念ながら急遽、来られなくなりました。
突然の「網膜剥離」ということで、緊急手術となり、来町することが出来なくなりました。
木原さんご本人も、とても残念に思っているとのことですが、我々NPOの会員は勿論、多くの方々が残念に思い、そして体調を案じていると思います。
作品も既に到着していますが、10周年記念としての展示は予定通り行います。いずれ体調が戻ったならば、状況をみて機会を作りたいと考えています。

なお、その代わりと言ってはなんですが~ ちょうど今回の入れ替えに合わせて、絵画館のオープンの時に来て頂いた、書家の石橋さんと奥様である女優の山口晶代さんが来られることになっていましたので、山口晶代さんの「一人語り」を演じて頂くこととなりました!
石橋さんは、「貫一お宮の再会の像」の後ろに掲げている銘板を書いて頂いた方であり、書家としては有名な方です。山口さんは前進座に属されていて、今はフリーの女優として活躍されている方です。一年目の時に演じて頂き、そして記念の10年後にまた演じて頂けるとは、これもまた何かの縁かな?とも・・

いずれにしても、10周年記念のセレモニーは予定の変更はありますが、開催致しますので、多くの方々に来て頂ければ幸いかと思っています。 
木原さんの作品は勿論、大きな作品を中心に15点以上の展示を予定しています。
素晴らしいモノばかりです!! 

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10周年記念!

木原1-1

木原2-2

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繋がり、拘わる・・

昨年来、計画していた「現代アーティスト」である兼子 真一さんによる「続 金色夜叉」の『再会の像』が置戸ぽっぽ絵画館に設置されました。 構想期間約一年、制作期間、約3カ月と~実に短時間での期間で作成して頂きました! 勿論、兼子さんが大切に言う「繋がりや、拘わり」から置戸側としても出来うる限り制作に対してのお助けはしましたが、まずは置戸にやや一月間も滞在しての、ご不便を掛けながらの制作に、兼子さんに心から感謝申し上げる次第です。 

兼子さんは「オケクラフト」の町、立派な図書館のある町、そして、「続 金色夜叉」の作者である長田幹彦との関係のある町、と言うこと。そして、発案者である「画廊 宮坂」の関係者、関りのある方々等、様々な方との関係、拘わりの中から、全ての繋がりを得られそうだから作品創りを手掛けることを決めたと・・

除幕式

正面

背面

40年以上も前に、置戸の人々が自ら作り出演し「続 金色夜叉」を再現したのDVDの放映が終わり、式典の全てを終えてから~
静かな口調で兼子さんは、除幕式まで行ったが、これが最終の仕上がりではないとも。

置戸ぽっぽ絵画館が出来て10周年、続金色夜叉 終編が発刊されて100年~ これを機に新しい置戸の動き、広がりを期待したいと・・みんなの協力で最終的な仕上がりにして行ってほしいと。

「再会の像」 また一つ、置戸の宝物が出来ました。 多くの置戸を応援して下さる皆様のお陰です。 そんな皆様に応えて行く責任がありますね・・人口2700人の町ですが。





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置戸と「金色夜叉」・・

尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年5月11日まで連載。作者が逝去したため未完となる。
その後、長田幹彦による「続 金色夜叉」にて続編が書かれ、終編の舞台が置戸町なのである。

置戸の駅舎裏には、その再会の為にお宮が訪れた時に見た「熱海の海岸の松」の再現を永遠に保存しようと、置戸町観光協会によって、今でも「ぽっぽ」の裏に松の木が植えられ、由来の石碑が残っています。

ぽっぽ裏の再会の松

ぽっぽ裏 案内

ぽっぽ裏 石碑

15歳で両親に死に別れた、間貫一は、鴫沢家に引き取られ育ててもらい、高等中学生となる。東京大学を卒業し学士となったら、鴫沢家の娘、宮、と結婚し、鴫沢家を継ぐとの約束であるが・・

大富豪の富山唯継は、かるた会で宮を見染め嫁に求め、鴫沢夫婦も宮もそれを了承する。
貫一は宮をなじり、翻意を乞うが、宮は富山と結婚する気であることを知り、宮を蹴飛ばす。よく知ら得ている「今月今夜のこの月を~」のフレーズで貫一はそのまま出奔する。
そんな熱海での壮烈な別れが、続金色夜叉では高利貸が飽きていた間寛一が親友の荒尾の提案を受け入れて高利貸を清算し、高利貸の師匠の鰐淵さんの継承者にすべての資産を返す予定であったが、 間貫一と荒尾の事業計画に投資し、その事業は北海道での興農園という開拓事業で成功することとなる。その後、林業にも事業範囲を拡大し、将来は電力不足の解消の為に水力発電に向けダム湖の開発をも夢見るのである。

鹿の子ダム湖畔 石碑

まさに、その地が置戸なのである。
そして不遇の状況であった、お宮が置戸を訪れ、事業で成功した貫一との10年ぶりの再会したというお話は99パーセントの国民が知らないかと思いますが、この置戸で再会したという物語が発表されてから100年となるのです。

明日の式典、全てが繋がります!!

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